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動物の世界には、強弁というものはない。
強い者が勝ち、大きな魚が小さな魚を食う。
人間の世界でも、遠い昔はそうであった。

ところが社会制度が次第に複雑になり、権利とか義務などがやかましくなってくると、強弁・詭弁が生まれてくる。
最初に強弁を振るったのはやはり昔の権力者であろう。
「泣く子と地蔵には勝てぬ」の言葉通り、権力者が何かを言い出したが最後、無理が通って道理が引っ込むのが相場であった。
権力者は更に、法律と伝説に対する絶大な力がある。
年貢の高がどのように決められたか、領民には分らなかったに違いないが、とにかく決められてしまえば、従わざるを得ない。
計算して出てきた数字だけは払わないと、面倒なことになるのは良く分る。

権力者が法律を操作して詭弁を通した極めて深刻な例は、朝鮮半島における日本の植民地支配にも見られる。
1905年、大韓国(当時)の外交権を奪った条約(乙巳保護条約)などは、「韓国代表を会議室から追出し、外務大臣印を強奪して捺印した」
というから無茶な話であるが、そんな条約でも出来てしまえば権力者側の盾となり、実情を訴えに万国平和会議(ハーグ)に赴いた韓国代表団は、
その条約(外交権喪失)を理由に、出席を拒否されたという。

そのほか、植民政府は「土地所有権の保護」を名目にして、土地の面倒な申告手続きを要求し、申告のなかった(民族的反感のためしなかった、所有関係が複雑なため出来なかった)広大な土地を没収した。
国民の中には「何も悲観するに足らず、日本人が土地を日本に持って行くことは出来ないのである」という人もいて、確かに結局はその言葉通りになったがのであるが、その過程で、悲惨な境遇に追い込まれた家族も、多岐に登ったに違いない。
こういう話に比べると、どこかの国の、罵声渦巻く全員総立ちの国会で「賛成者はご起立願いますと言ったところ、全員賛成であったから、本件は可決されたのである」などという話は、ユーモラスにさえ聞こえてくる。


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