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ローマ文明という基礎に、ゲルマン系の蛮族たちの社会が乗っかって誕生したヨーロッパでは、それまでの歴史的経緯から労働よりも略奪の方が経済行為として「格が高い」という発想がしっかりと根付きました。
労働を行うのは民衆であり、王侯貴族は戦争とそれに付随する略奪行為を専らに行うという「分業関係」です。
アダム・スミスの『国富論』の正式な表題は『諸国民の富の性質と原因に関する考察』でしたが、これは労働が生み出した「民の富」と略奪によって築かれた
「王侯貴族の富」との対比を意識してのことだったと思われます。

ですが、スミスが目撃した近代初頭の経済成長も、根っこにはやはり略奪がありました。
ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパ経済は長期に渡って低迷することになります。
略奪経済が壁にぶち当たったからといって、それですぐに「部業による富の創出』に社会を切りかえられるわけではありません。
このため、五世紀から十五世紀にかけてヨーロッパはユーラシアの辺境という地位に甘んじていました。

そのようなヨーロッパで発達したのが、遠洋航海の技術です。
十五世紀には中国の明帝国も東南アジアからインド洋を渡ってアフリカにまで大艦隊を派遣しています。
つまり明にもそれだけの技術があったのですが、明は当時の世界で最も豊かな大帝国でした。
海を越えて遠隔地に進出する必要がなかったのです。
一方のヨーロッパは、自分で作れない胡椒や絹などの贅沢品に対する需要がいたって旺盛で、城外進出への強い動機がありました。

ついに一四九二年に、コロンブスがいわゆる新大陸を発見します。
このコロンブスの航海ですが、その資金を提供したスペイン王国は、イベリア半島にあったイスラム教徒の王国を征服して奪った富で潤っていました。
コロンブスは穏やかな人々の住む豊かな土地を発見したことを、ヨーロッパに伝えます。チャンスの臭いを嗅ぎつけた荒くれ者たちが、新大利に渡っていきました。

スペイン人は新大陸でインカとアステカという二つの偉大な土着文明を発見します。
このうちインカは内部分裂をしていたためもあり、あっさりと制服され、その富を全て奪われてしまいました。
アステカの方は武力で抵抗し、いったんはスペイン人を追い越すことに成功したが、結局インカもアステカもスペイン人達が持ち込んだ伝染病のせいで人口を激減させ、崩壊してきます。


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